日本には知られざる偉人が沢山います。その先人達が頑張ってくれたおかげで、今の私達がいます。なるべく多くの人に知ってもらえると嬉しいです。
信長の天敵
1534年から1589年に活躍した雑賀衆という一揆集団の棟梁。雑賀孫市とも書く。本名は鈴木孫一。
16世紀当時としては非常に多い数千丁単位の数の鉄砲で武装しており、きわめて高い軍事力を持って傭兵集団としても活躍した。
石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り、織田信長の軍勢を苦しめた。
その後、関ヶ原の戦い(伏見城の戦い)では西軍本隊に属して、鳥居元忠を討ち取る活躍を見せる。
戦後、浪人を経て水戸藩に仕官した。雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける
戦国時代、実際に言われていた言葉です。戦国最強の鉄砲傭兵集団として、恐れられていました。当時、「雑賀を制すものは全国を制す」 とさえ言われています。
信長との対立
織田信長は、宗教 「一向宗」 の総本山である 「本願寺」 と対立、「織田家」 と 「本願寺家」 は全面戦争に突入します。
雑賀衆 にはこの 「一向宗」 の門徒(信者)が多く、一向宗 のお寺も数多く建てられており、本願寺の本拠地である 大阪(石山) にも近かったため、本願寺とは友好的な関係にありました。 そのため、「雑賀衆」 は 本願寺 の要請を受け 織田家 の軍勢と戦う事になりました。
本願寺家 を支援した 雑賀衆 は大活躍する事になります。戦いで 雑賀鉄砲衆 の指揮を取ったのが、伝説の鉄砲使い 「雑賀孫一」 です。
信長と本願寺との戦いは10年も続き、信長はその戦いで大活躍をしていた雑賀衆を先に叩くことを決意します。
信長は豊臣秀吉や明智光秀などの主力を率い、なんと10万人の兵力で雑賀衆の里に押し寄せます。さすがの雑賀衆も降伏し、信長との対立は終わります。
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